下河辺 淳 アーカイヴス

その歴史、その仕事

下河辺 淳 プロフィール

西暦(元号)年/月 経 歴
1923(大正12)年9月 30日、千葉県市川市にて出生
1947(昭和22)年9月 東京大学第一工学部建築学科卒業
10月 戦災復興院 技術研究所
1948(昭和23)年6月 建設省住宅局兼建築研究所
1952(昭和22)年12月 経済審議庁計画部計画第二課
1957(昭和32)年4月 建設省計画局総合計画課 課長
1962(昭和37)年3月 東京大学工学博士
8月 経済企画庁総合開発局 調査官
1966 (昭和41)年9月 経済企画庁総合開発局総合開発課 課長
1970(昭和45)年8月 経済企画庁総合開発局 参事官
1971(昭和46)年5月 経済企画庁 総合研究開発調査室 室長
1972(昭和47)年6月 経済企画庁 総合開発局 局長
1974(昭和49)年6月 国土庁 計画・調整局 局長
1977(昭和52)年11月 国土事務次官
1979(昭和54)年7月 国土庁 顧問
11月 総合研究開発機構 理事長
1991(平成3)年11月 総合研究開発機構 特別顧問
1992(平成4)年4月 株式会社東京海上研究所 理事長
1995(平成7)年2月 阪神・淡路復興委員長
1996(平成8)年4月 勲一等瑞宝章受章
2001(平成13)年7月 株式会社東京海上研究所 研究顧問
2003(平成15)年7月 下河辺研究室会長、有限会社青い海代表取締役会長
2008 (平成16)年8月 一般財団法人日本開発構想研究所 特別顧問
2014(平成26)年6月 下河辺研究室、有限会社青い海、閉室
2016(平成28)年8月 13日、永眠
  • 1923(大正12)年千葉県市川市にて出生。
  • 東京大学在学中に終戦となり、戦災を受けた東京の都市社会調査を行う。
  • 1947(昭和22)年に東京大学第一工学部建築学科卒業、戦災復興院に勤務。戦後、米軍による空襲で被害を受けた全国の戦災都市復興の計画・推進を目的とした戦災復興院技術研究所に勤務し、住宅問題、都市計画の調査・研究を手がける。
  • 1949(昭和24)年に建設省建築研究所、1952(昭和27)年より経済審議庁に出向し経済計画の策定に参画。
  • 1957(昭和32)年からは建設省にて、特定地域の総合開発、特に河川総合開発計画に着手。東京湾、伊勢湾、大阪湾、瀬戸内海、有明海等の内海の総合調査に取組む。
  • 1962(昭和37)年に経済企画庁総合開発局へ。同年策定の全国総合開発計画(全総)から1998(平成10)年の第五次全国総合開発計画(五全総)まで、一貫して国土政策・国土行政に深くかかわる。
  • 1977(昭和52)年に国土事務次官、1979(昭和54)年退官。
  • 1979(昭和54)年に1974年に総合研究開発機構法に基づき設置され、当初は総理府(のち内閣府)が所管する特殊法人等(認可法人)の政策研究機関である総合研究開発機構(NIRA)の第2代理事長に就任。
  • 12年間のNIRA在職中に、世界のシンクタンクとの研究交流の輪を広げ、また国内シンクタンクの協力を得て、約450余の研究プロジェクトを手がけた。総合的なプロジェクトとして取りまとめたものに『事典 1990年代日本の課題』『事典 アジア太平洋-新しい地域像と日本の役割』がある。また大都市問題(東京論、土地・住宅問題、首都機能、世界都市)も力を注いだ研究のひとつである。
  • 1991(平成3)年にNIRAを退任、翌年まで顧問を務める。
  • 1992(平成4)年、株式会社東京海上研究所理事長に着任。企業の未来についてさまざまな視点から研究を進め、近年深い関心を寄せたテーマ「ボランタリー経済」については三部作(『ボランタリー経済の誕生』『ボランタリー経済学への招待』『ボランタリー経済と企業-日本企業の再生はなるか?』)をとりまとめた。2001(平成13)年より研究顧問、サロン会長を務め、2003(平成15)年6月退任。
  • 1994(平成6)年には、これまでの国土政策を集大成し、国土計画の歴史から21世紀の国土に至る長期的視点を盛り込んだ『戦後国土計画への証言』を出版。
  • 1995(平成7)年から1年間にわたって、阪神・淡路復興委員会委員長を務め、同地域の復興施策をまとめ上げた。
  • このほか、日中経済知識交流会顧問、日英2000年委員会委員、日米欧委員会日本委員会委員、社団法人日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)裁定委員会委員など、各種団体の要職を務める。
  • 2003(平成15)年7月より、下河辺研究室会長、有限会社青い海会長に就任。
  • 2008(平成20)年1月に財団法人日本開発構想研究所の特別顧問に就任する。
  • 2014(平成26)年6月に下河辺研究室、有限会社青い海を閉室。
  • 2016(平成28)年8月13日永眠。