江戸のまちからは春夏秋冬、富士山が実によく見えていたようです。
安藤広重の名所江戸百景には富士山の入った絵が多くあります。富士山は江戸のランドマークとなっています。また、筑波山も登場しています。江戸北東のスカイラインとして、一連の山並み景観の中の筑波山は、江戸の人びととって身近な山であったに違いありません。
しかし今は、家が建て混み、高層、超高層建築が林立して山が見えなくなってしまいました。
江戸、明治の人びとの富士を見た地上の視点場を大切にすることは歴史的眺望景観の保全として意味のあることだと思います。天気さえ良ければ、高層、超高層―霞が関ビル、東京タワー、東京都庁、六本木ヒルズなどから巨大都市東京を取り巻く山々がよく見えます。関東平野一杯に広がる巨大都市東京はまさに山々に囲まれた山岳都市といってもよいでしょう。
東京の人口急増期に造られた大規模団地住民の急速な高齢化、住民の都心回帰といったこの地域コミュニティの変化変容にいかに対応するかが問われています。人口急増、高度経済成長期の人工景観と自然景観のせめぎ合いの後で、自然の中の豊かな人文景観の取り戻しと、落ち着いた「住まいのかたち」が改めて求められているともいえます。
タイトル:山岳都市東京―東京の姿形について考える(その7)
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